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庵主はいくつもの色眼鏡でものごとを見ています。そこで仕入れた個人的に旬の話題をとれたて直送。ご自分の舌でよくお確かめの上お召し上がりください。

ご意見ご感想などいただけたら幸いです。
お返事は書けないかもしれませんが、
大切に読ませていただきます。
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<国>のかしこいユーザーになるために:その2
   

   コメント:4   トラックバック:0    Date:2004-07-10   

  

日本は明日が参院選投票日ですね。
繰り返しになってますが、みなさま、選挙に行ってくださいませ。

私の希望としては、現小泉政権(自民党+公明党)は負けてほしいけど、
みなさまそれぞれのお考えがあることと思います。

ちなみに、「みどりの会議」から立候補した小林イチロウさんのサイトは
面白いです。
彼のサイト:http://1ro711.org/top.html

彼を支持してもしなくても、このサイトはとってもおすすめです。
しっかりしたわかりやすい現状分析、マスコミに載らない大事な情報、
気持ちよく生きるためのいろんな選択肢など、楽しく考えるヒントが
満載です。

さて、「<国>のかしこいユーザーになるために:その2」です。
今回のサブタイトルは、「国家は想像の産物:だったら楽しい想像をしよう!」

相変わらず試行錯誤で、長文ごめんなさいです。

「<国>のかしこいユーザーになるために:その1」では、国家は会社みたいなもんで、
その会社が売るサービスがよくなかったら消費者としてクレームをつけよう。
でないと会社に食い物にされちゃうよ、という話をしてみました。
その2は視点をちょっと変えて、私たちはどんなサービスがほしいのか考えようよ、
という話です。

まずは、じゃあなんで「私はこんな国がいいな」と考えることがむずかしいんだろう?
というあたりから。

「国家」の決めたことは自分たちがどうこうできることじゃない。
とっても大きくて、いやでも従ってサービスをしなくちゃいけないモノだ。
でないと後からどんな怖いことになるかわかったもんじゃない。
文句をつけるなんて、思い上がりもハナハダしい。
個人は「国家」ほど大きくなんかないんだから。

って感じのことを、私はなんとなく思っています。
みなさんも、思ってたりしません?

「怖い」話は「その3」でしますね。
でも、たとえ怖くなくても、国のこと考えるのってなんかメンドウだし、自分と
関係ない、手が出せない、って思いがちじゃないでしょうか。

その理由の一つは、「国家や民族は<自然に>出来上がったものだ」って
なんとなく思ってるところじゃないかと私は思っています。
私も、以前はそう思ってました。
っていうか、そう思ってることにすら気が付いてませんでした。
で、国家や民族なんて、個人がどうこうできるものじゃない、そんな<偉大>な
ものに対して自分には何もできない、と感じることになっていました。

でも、数年前に『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン)という本を読んで、
「なーんだ、国家だって民族だって人間の想像力が作ったものなんじゃん」
って思ったのね。
(ちなみに、nationはもともと「民族」をあらわす言葉だってこともこの本で知りました)

以後、「じゃあ怖がらなくてもいいや。私だって、この世界に参加している人間の一人。
私の声だって、今まで<国>ってシステムを作ってきた一人一人と同じだけ大事だし、
国家に反映させてもいいんじゃん」と思ったんですね。
私の中で、ミンシュシュギが生きて声を持った瞬間です。

「国家」も、人間が恣意的に(=自分勝手に)作ったシステム。
私と同じ、人間の、いろんな人たちの思惑の押し合いへし合いが作ってきたもの。

思惑が現れる領域によって「経済」「政治」「行政」「国際情勢」「法律」などなどと
呼ばれますが、もともとは、「あれ欲しい!」「言うこと聞け!」「あいつキライ!」
「一人じゃ怖いから仲間を作ろう…」といった基本的な感情の動きですよね。

だっだら、どうせ想像なら、自分(たち)が暮らしやすいように私たちの恣意も
持ち込んで、変えていけるじゃない?

という話を展開している本『ナショナリズムの克服』(姜尚中・森巣博、集英社新書)、
おすすめ!です。
私には、なんか読んでて楽しく元気になる本でした。

もひとつついでに、関曠野(せき・ひろの)『民族とは何か』(講談社新書)も
おすすめです。こちらは、民族とか国家とかがどんなふうに出来上がってきたものか
「そうだったのか!」って感じでよくわかります。
どっちも新書だし、特に前者は対談だから、すごく読みやすいよん。

「国家」がどれほど恣意的に作られてきたかわかると、けっこういろんな
思い込みから自由になれます。
 -幽霊の 正体見たり 枯れ尾花-
相手の正体がわかるとヤミクモにおびえなくてもすむのは、幽霊でも
対人関係でも社会問題でも同じだよね。

『ナショナリズムの克服』がすてきだと思うのは、いろんな複雑な問題を
忘れて麻薬のように楽観的に言っているわけではなく、問題は踏まえて、
その上で、「国家も想像から始まるのだから、私たちの想像力=クリエイティビティを
駆使して楽しく生きる方向を想像をしよう。そうしたら、社会的少数派が気持ちよく
生きられるシステムが実現できるかも」と呼びかけているところです。

少数派っていうのは、単に数が少ないことも意味しますが、数が多くても
社会的に優遇されていない、力をもっていない場合も含めます。

例えば、男性社会の中の女性、お金の力が強い社会の中のお金が稼げない人
(年齢や身体・精神的状態や差別など、いろんな理由がありうるよね)、
日本に生きる「純日本人」以外の人、異性愛が当たり前だと思われている中の
同性・両性愛者、男女の性別は明確で当然という社会の中のインターセックス
(性器がどちらかだけに分類できない人)やトランスジェンダー(現在の
自分の体の性別に違和感がある人)。

上記は私に身近な例ですが、どんな人にも、多数派である側面と少数派である
側面があって、少数派にとって生きやすい社会は、多くの人にとって生きやすい
社会だろうと私は思います。

たとえば私は「純日本人」「高学歴」「異性愛者」なので、それがないことで
苦労したことはありません。両親が日本人じゃないからといじめや進学・
就職差別をされたことはない。院卒じゃないと入れない学校にも問題なく
入れる。パートナーと人前で腕を組んで歩いても、変な目で見られない。
(もっともうちのたまは腕を組むのを嫌がりますが、それはまた別の話(笑)

何の苦労もないから、そんな特権を持っているとも気がつけない。
それが、私が主流派である、という意味です。

一方、私は「女性」なので、痴漢やセクハラにも遭ってきたし、進学や就職状況に
明らかな女性差別も経験しました。もちろん、さまざまな差別的お言葉は日常茶飯事。
「~(とある思想家の名前)は、女性には難しくてわからないと思うよ」とか、
「やっぱり女性に入れてもらったお茶はおいしいね」とかね~。

しみじみ、<ああこの人の目には、「院卒」という肩書きも、実際に会話する中に
表れる私の頭の働きも、私個人がお茶好きでお茶淹れスキルが高いのだという
発想も入らず、この人のイメージする「女性」というものしか見えないのだなあ。
そのイメージは「社会」のみなさんが「そう思っていい」と後押しをしているのだなあ>と
思うんですね。

そしてもちろん、私自身の中にも、「女性」のステレオタイプは厳として存在し、
私の行動を規制しています。

何かしようとしたときに、いちいち引っかかる。
何もしてなくても、何かいやなことが起こる。
そういうのが、私が少数派である、という意味です。

私は、自分がいやな思いをするのがイヤなので、そんなことの少ない社会がほしい。
そして、他の人にも、いやな思いをしてほしくない。
それは、私がその人の気持を想像するといたたまれないから、という理由も
ありますが、もう一つ、私自身がいつ、どんな少数派になるかわかったもんじゃ
ないので(少なくとも確実に老います)、私自身の安全保障にもつながるから、
という理由があります。

少数派が生きやすい社会は、どんな人にも生きやすいはずだ、というゆえんです。

だから、私が想像するのは、人が、自分のあり方も他の人のあり方も、
共通性も差異も含めて、尊重できる関係性。

人と人との間の揉め事が暴力(国家間なら戦争)にまでエスカレートする前に
気がついて、解決法を探る集団的合意。

理詰めや策略でやり込めるのではなくて、お互いの感情がしっかり満足できる
方向を探れるシステム。

戦争を動かす大きな力は「利権」ですが、それがほしいと思うオオモトの感情自体に
働きかけられるような方法。

そのための方法として、私はプロセスワークを学んでいます。
でも、人それぞれにいろんな方法があると思います。

みなさんなら、どんな社会/国家/システムがいいなと想像します?

現実的じゃないぞ?
もちろん。夢ですもの。

「夢だっていいじゃない」というのは川原泉の傑作「笑う大天使(ミカエル)」の
続編のタイトルですが、夢がなければ何ごとも始まりません。
夢だって、いいじゃない?

まずは、夢を見る。
そして、その実現の方法を、「現実」をきっちり分析した上で考えればいいんです。
たとえ今すぐ実現しなくても、焦ることもない。
あと何百年かのうちに起こったらラッキー。
夢見ることには実は、「そっち方向に考えているだけで元気になる」という、
「今ここ」における<現実的な効果>もあるんですもん:)

  
  
       
 コメント:
      
    
1 | まるす said:
    

はじめてコメントします。

小林イチロウさん、私もチェックしていました。
私と年齢はあまり違わないのに、意見や信念に共感しました。すごいですよね。

政治に関しても、他の事に関しても、
自分の考えを伝えるのって、痛みを伴うことだと思います。
でもその痛さは、自分を成長させるのかな~、
痛みは気づきなのかなぁ~、なんても思います。
私も、痛みは嫌いですが(笑)

あ、偉そうなことを書いてしまった (・ω・A;)あせあせ

    
Post Date:2004-07-11
    
       
    
2 | 香苗 said:
    

まるすさま

コメントありがとうございます。
ええっと、もしかしてまるすさんは、文鳥を飼っていらっしゃいます?
お遊びにいらして頂いて、有難うございます。
サイバー環境でも、よろしくお願い致します。

痛さで成長や痛みが生まれる。
その通りですね。
今後とも、偉そうなことをがしがし書いてくださいませ。

ほんとうは痛くなる前に気がついて成長できればいいなと
思うのですが、不精なもので、必要(痛み)に迫られないと
なかなか動きません...

不精をやめるか、ずっと痛い思いを続けるか、というのは、
けっこう究極の選択ですねー。

    
Post Date:2004-07-12
    
       
    
3 | まるす said:
    

はい、文鳥飼いのまるすです。
こちらでもよろしくお願いします!

今回の選挙、もちろん行ってきたのですが、
結果には不安を感じています。漠然としたものですが。
これから、日本のこと、政治のこと、世界のことにも
目を向けていきたいなぁと、感じた私でした。
今まで「難しい」と逃げていたことばかりだけれど、
理解する姿勢と、自分の判断基準を持つことは大切かな、と思ったりしています。

不精をやめるか、痛い思いを続けるか・・・
バランスよく経験したいですね・・・って都合がいい?(笑)

    
Post Date:2004-07-13
    
       
    
4 | 香苗 said:
    

まるすさま

あはは、「バランスよく経験したい」、私もそう思います。

今回の選挙はほんの始まりで、これからちゃんと私たちが自分でものを考え、
マスコミの流す情報を鵜呑みにせず、マスコミに乗らない情報も集めて
状況を把握して、声を上げていかないと、ものすごく苦しい重いがすぐ数年後に迫っている気がします。

コレに関しては、不精をしてたら痛いぞ!ってわかるので、こんなに焦っちゃうんでしょうね。
でもまあ、できることからして行きましょう~。

    
Post Date:2004-07-14
    
      
        
 トラックバック:
  
   
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